シンメトリーな窓は閉じたまま


感情の波が、少しだけ、早く訪れる。


中学生の頃、卒業式の合唱練習も。
高校生の頃、吹奏楽部の定期演奏会も。
大学時代のダンス部の卒業公演も。


練習中に泣くか、
前日に泣くかで、
本番は、けろっとしている。
そんな妙に冷静な自分が嫌いだった。
ちょっと、違う。
タイミングも、感じることも。
みんなと同じならいいのになって思ったよ。



みんなが泣くと、逆に冷めちゃうような。
みんなが集まると、逆に逃げてしまうような。
本来の感情と、周囲との関係で生まれる感情の2種類が常にあって。



感動系の映画も苦手だし、
みんなが話題にすることも、興味がなくなる。
誰かが自分と同じことを始めたら、もう、次に行きたくなる。
人と同じことはしたくないし、
うまくいかなくてもいいから、何か新しいものをてづくりしてみたい。


それは、不安の裏返しだったのかもしれない。
思春期の頃の悩みは、「心が動かない自分は、ダメな人間なんじゃないか」ということだった。
いい子でいようとすれば、自分の感情の機微にセンシティブになれなくなる。
でも、集団や文化によってつくられる感情にものれなかったので、どっちつかずで、まあ、よかったのかしら。



ああ、この人とはわかりあえない、という心の窓を閉じてしまう瞬間がいくつもあって、
例えば、昔友人たちと観たディズニーのイルミネーションとか。
感動系の映画鑑賞会とか。
もう、ダメだった。
教育実践だってなんだって、
誰かにとっては感動的で素晴らしいことが、
誰かにとっては気味悪く、嫌悪感を持って感じられるということがあるように。



寛容であるって難しい。


あまり、共感できる人が多くないけれど、
少ない友人を大切にしようと、
今夜、彼女と話したのは、そんな話だったような気がする。


閉じていっているけど、仕方ない・・・かな。



今日のコンサート会場。レトロでシンメトリーな窓が美しかった。
私は、アシンメトリーが好き。
片方だけ長い前髪とか、片方だけのイヤリングとか、そういうのが好き。
そして、シンメトリーに浮かぶ、アシンメトリーが、とても好き。
安定と、不安定さと。
どちらもあって、とれている調和と不調和が好き。


少しだけ、安定志向に戻ってきて、それも、いいかと思える週末だった。
すべて、夢のせい。
予知夢とまではいかないけれど、不思議な夢を見て、それが叶うということがよくある。
無意識の願望は、カタチになる、ということだろうか。


今夜のライブで、見た夢を歌にしました・・・って、青葉さんも話しておられた。
その感じが、好きなのかも。
ファンタジックなリアル。