ろまんちっくこくご

彼は銀河鉄道のシルエットの切り絵を仕上げ、今日は赤い目玉のさそりの切り絵。
彼が星めぐりの歌を口遊みだしたので、音楽をかけたり、2年前に学習発表会で子どもたちが歌った映像を流してみたり。
「やまなし」の学習の単元を貫く言語活動は、「賢治の生き方・作品の魅力が伝わる賢治のかがやき小箱をつくろう」というもので、国語は図工の授業のような様相。
魅力を伝える評価文を200字で書き、小箱の底面に。
箱の内側には、紹介したい作品の引用を。
箱の中は、宮澤賢治の小宇宙のような。
箱の外側には、どんな人にこの小箱を開いてほしいか、誘いの文を書く。
注文の多い料理店」風の文句を書き、箱の蓋を煉瓦風にしている子もいる。
彼らの学習活動は小さな、小さな、ミュージアムディレクション
手のひらサイズのオルゴールのようなミュージアムをつくる。
そういうイメージ。
国語をあまり好まない彼も、文字を書くのがいやなあの子も、
賢治の本を開きながら、せっせと文章を書き、画用紙をちぎったり、飛び出す飾りをつくったりしている。
図工では、「やまなし」の「五月」と「十二月」の幻灯をにじみ絵で。
受験勉強でお疲れのあの子が、「きれー」「おもしろい」と言いながら、にじみゆく色を楽しむ姿を見るだけで、やってよかった、と思う。
なんだろう、読むだけじゃなく、書くだけじゃなく、その空間をつくる。
そのために、文章を読み、選択・吟味し、引用する。
総合的な空間や芸術表現でもって伝える試み。
芸術家の多いクラスだからおもしろがれる学習なのかなあ、とも思う。


それにしても、「箱」というのは、ロマンチックな道具ね。
そう、開きたくなる。
開く時のドキドキ感。
私だけに届けられたかのような、特別な時間が、箱と私の間を流れる。
パンドラの箱も、浦島太郎のたまて箱も、
開けられるしかない運命だったのだ。
箱は、開けないことには、箱の魅力を発揮することはできないのだ。
それが、どんな運命を手繰り寄せたとしても。



夏の終わりに訪れた花巻にある賢治の童話村には、いくつかの小さな建物ががあり、「石」「鳥」「星」「動物」のように、賢治の物語の重要な構成要素に着目したミュージアムとなっていた。
賢治の記念館はこの春リニューアルされ、「宗教」「音楽」「宇宙」のようなコンセプトと、それにまつわる映像や資料が視覚に訴えやすい形で展示されていた。ここもまた、賢治の宇宙の中に迷い込んだ感じだった。



授業を構想したり、日々の授業準備をしたりしながら、
もし、このまま教師を続けていったならば、
この3年ほどを、自分自身にとって重要な変化があった時期として思い出す日が来るのだろうな、ということをぼんやり思う。


今日は中間休みに、少年たちと運動場のすみっこでひなたぼっこ、かげふみからの、どん・じゃんけんをする。無邪気な12歳たち。秋は外遊びが気持ちよく。