as a writer, as a reader, and as a learner

本当に毎日暑い。
我が家にはエアコンというものはないので、
南北にある窓を開け放している。
そして、気づいた。
ベランダが1番涼しい。
ちょうどブルームーンがベランダごしに見える。
夜なのにセミが激しくないている。




今日は1日、旅の準備と研修。
その合間に西加奈子を読む。
書評を、書かないといけない・・・と思いながら、
又吉さんの解説を読み・・・。
午後の市の研修は格差・貧困を乗り越える茨木市の取り組み。
とても勉強になる。
そして、ずっと書評のことをまた、考える。
アウトプットが決まっていることで、
それに必要な情報が際立ってくるし、
学習の仕方がセンシティブになる。
なんとなく学ばなくなる。
これが、水戸部さんが言う授業デザインの改革のポイントだと私は心得る。
教科書の学びと単元を貫く言語活動のインターバルを開けないこと。
連関を常に子どもたちが実感しながら学ぶこと。
気づけば、私も、そういうふうに学ぶとよく学べると実感しているじゃないか。
この自分自身の学び手としての「実感」が授業モード・学校文化を生きる自分と
うまく接続されていないことが多いけれど、
研修に行って自分が「学び手」になると、そうしたことにするりと気付けたりする。
研修を受けにいくことや、コンテンツの重要さももちろんのこと、
自分が「学び手」であることを意識しながら、良き学び手としてのストラテジーを更新していくことが、どうしたって、大切だと思う。



大切な友人の大切な日に贈るメッセージを、
ずっと考えている。
この夏の自由研究その1ね。


スピーチのための原稿を書く授業は、これまでたくさんしているけれども、
自分がいざ書くとなると、難しい。


先日の国語の校内研修では、最初のアイスブレイクで「自分が最近書いた文章」を思い起こしてもらった。


自分の書き手としての経験を思い出し、そこでどんなプロセスを踏んでいるのか、
どんな文種は得意で、どんな「書く体験」に苦労し、どんな「手立て」を必要としているか。
自分が「書く」という行為をしている時に踏んでいるプロセスに意識的になることは、
書き手としての子どもと関わる時に、重要だと思う。


大学院でたくさんいろんな文章を書いて、
ああ、書く授業が、少しはできるようになるだろうな、という実感があった。


もう少し、このあたりを研究してみたいと思っている。


話は戻って、スピーチの話。
まずは、取材だよね。
彼女に取材。
彼女と私の共通の友人に取材。
昔の彼女との思い出を綴ったブログや写真、彼女からの手紙なんかを読み返すのも
必要だろう。
埋もれている記憶を掘り起こす。


それに、モデル文は、やっぱりいくつか読みたい。
昨年結婚式をした友人に、どんなメッセージを読んでもらったか尋ねてみる。
私が出席した結婚式での印象深いスピーチも、思い出してみる。
いろんな書き振りがあったし、読み方があったなあ。
私は、どうしよう。
「型」はおさえておかなきゃならないしね。


そして、彼女の好きな音楽も聴き直してみる。
ドリカム。
ちょうど、アルバムが出たところなので、借りてくる。
ドリカムを聴くと、彼女を思い出す。
色んなエピソードを、ドリカムの歌と一緒に彼女は語ってくれた。




中学時代、私はジュディマリ女子だったけど、
あなたは、ドリカム女子だったんだよね。



あなたが私に贈ってくれた詩。
部屋にいくつも貼ってある。
トイレに貼ってある谷川俊太郎の詩なんか、毎日読んでる。


それから、一緒にバックパックかついで、卒業旅行でヨーロッパにも行ったんだった。
マケドニアの闇の色や、イタリアの青い薔薇。ギリシャの神殿と世界の中心のようだった丘。

ああ、ニューヨークのブルックリンブリッジも。
モンゴルの草原と星空も。
九州の食い倒れツアーも。



まだ、世界が私の手の中にある、そんな実感が強かった頃の色とりどりの記憶。



この膨大な思い出という素材がたくさんあって、


でも、伝えたいメッセージは、これらを並べることじゃない。
何を伝えたいんだろう。
私に、何が言えるだろう。


子どもたちも、ここで、はたと考えこむ。
卒業随筆の時も、そうだった。
素材を集めても、「書きたい」と自分が心から思えるまで、時間がかかる子は、とてもかかるんだった。
自分にしか語れないことを語りたいと、
その葛藤が書くという行為の一番大切なところで。


あと、構成とか推敲とか、実際の表現とかは、
メッセージが力強ければ、なんとでもなる。



What's the message of this song? この歌の「こころ」は?
What's the message of this line?  このセリフが伝えようとしている「メッセージ」は?



ミュージカルのWSで何度も発せられる問い。


昨日の聞き書き詩のワークショップ。
その後、みどりちゃんとの私たちのイタリアンでのリフレクションで、
インタビューで、相手の「情報」ではなく、「スピリット」を聴く姿勢が、
最後に詩をつくる、という表現が位置付けられていることで、自然に促されるという話になった。
ちょんさんが提唱されている第4階層のエピソード共有のように、
また、最後に詩をつくる、ということで、私たちは、不思議に「深く」話を聞こうとする。
なぜ、この人はこの話をするんだろう。
この人は、どんなことを伝えたがっているんだろう。


「他人の方が、言いたいことを言葉にしてくれるようです」
上田さんがそうおっしゃったが、本当にそんな感じ。


ブルームーンを愛でながら、チャットモンチー
あ、西加奈子が作詞提供してる。
今日は西加奈子dayだなあ。



夏の3つの遠出の予定を立てる試みるも、立てきれず。
もう8月になっちゃった。
ひとまず、交通手段だけ。
旅は、選択の連続だ。






『炎上する君』の中の「空を待つ」の読後感、この余韻は、
そう、「デューク」(江國香織)を読んだ時のそれと似ていた。