みかん色の夕焼けが

今日は校内研修1日目。
朝イチは、図書館教育部の先生による絵本を使った研修。
そこここから、「癒された〜」との声が上がる。
私は受ける立場だったけど、そういう表情や声を聞いてうれしかった。


合間には組体操に向けての学年会。
音楽が決まると、ぐわーっと構成や動きが決まっていっていい感じ。
曲や世界観の感動を共有しながら、方向性を定めていく。
短い時間だけど、充実感のあるミーティング。
私は、今年の学年団の中でも末っ子で、
奔放なことを言っても笑って許される立場。
かわいがってもらって、わがままを聞いてもらって・・・
感謝。


午後遅めには、音楽部の研修。
合唱指導をずっと学んで来た同僚による研修。
指導法、指揮法、楽曲選びのポイントを学び、その後、
「旅立ちの時~ Asian dream song~」をみんなで歌う。
「高校以来、ファルセットで歌ったわ〜」と、自分に驚く先輩先生の姿あり。
私は一生懸命歌いすぎて、酸欠になりかけ、久々に手がしびれる。
職場のみんなで歌う歌は、なんて楽しいんだろうと思う。
職員室に帰ってもその興奮冷めやらぬ感じで、
子どもたちに歌声を送ろうという話も出てきて。
いい余韻。


夏休みが短くなったので、校内研修を7月中にすることになったんだけど、大正解。
少しゆとりのある心持ちで、その教科に感動したり、自分に驚いたり、同僚とゆるやかに関わったりしながら学んでいける。
今日は特にセラピューティックな雰囲気だった。
お昼は、校長先生が手料理を振舞ってくださり・・・。
いい職場にいるなあと、しみじみ。
ああ、私も週明けの研修の準備をしなきゃ。


夜はミーティングで西宮まで。
大切な師、二人と。
「この人自身がHUBだから」って言われる。
10年やってきたことは、そういう言葉で表されるのかもしれなかった。



道中、車窓から美しい夕焼けを見た。


美しい夕焼けを見ると、思い出す言葉がある。

ドストエフスキーのおもしろさ―ことば・作品・生涯 (岩波ジュニア新書)

ドストエフスキーのおもしろさ―ことば・作品・生涯 (岩波ジュニア新書)


高校生の頃手に取った、この本の中のある少年の言葉。
ネットでその言葉を検索したら、自分の昔のブログが出てきた。
あらら、10年前にも、同じ内容のブログを書いている。
変わってないなあ。
季節は巡っているのに。


二度と戻らないときが、後から後から思い出される夜。
指の隙間から大切なものがこぼれ落ちていく感じ。


そして、明日、こぼれ落ちたものをまた救うのだ。


長崎に行って、海の見える坂道を歩きたい。




2005年9月15日の日記 『それは美しすぎる黄昏のせい』より、転載。

今日もとびきりの夕陽を見た。車のサイドミラー、バックミラーに夕陽がうつって、くらます。黄昏色に染まる街って本当に美しい。坂道から見下ろす遠くの空が海のように見えた。この美しい夕焼けの街に住むのもあと6ヶ月ばかり。そう考えると寂しくなる。

 “黄昏の、消えゆかんとする陽の輝き!”   ある少年がノートに書き留めていた言葉 

 昔、夕陽の大好きな少年がいたって。美しい夕陽をみるといつも無邪気にお母さんをよんだって。ノートには、黄昏の美しさが謳われていたって。
 その少年はある日、祖母を殺し、自分も自殺してしまったんだって。本当の話。

 私は美しい夕焼けをみるといつだってこの話を思い出す。夕焼け、世界が消えゆく瞬間のたとえようのなく悲しく、美しい時間。夕焼け色は悲しみを包み込む色。人びとの誰にもわかってもらえない心を受け止めつづけるから、あんなにやさしい色が生まれたんだね。

 少年はどんな闇を恐れていたの。

 みかん色の夕陽、いつもうっとり心奪われて、いつか事故を起こしそうよ。

 そして、今日も自殺者が出たのかな、とふと考える。この美しすぎる夕陽のせいで。

 そんな思いもつかの間。暗い夜の闇が世界をつつむ。

 黄昏時よ、さようなら。