1週間ぶりに登校してきた子。
彼は、両親の出張について、オランダ・ドイツに行って来た。
「どこが楽しかった?」って聞くと、「ゴッホ美術館」って。
うれしそうに笑いながら、「ひまわり」を観た話をしてくれる。
授業でもWBを使いながら少しインタビュー。
彼らしいエピソードが飛び出す。
ただ会話するだけでは得られ難い、話の立体感や、映像から感情に流れていく感じを実感する。
週末の2日間を意識的に流れ込ませたり、それが意識せずとも言葉に現れ出たり。
学ぶことは、行ったり来たりで、行きつ戻りつで、立ち止まりながら進むのだ。
帰宅すると、郵便受けに絵葉書が一枚。
ゴッホ『クリシー大通り』。
十年来の友人から。
彼もまた学会でオランダに行ってきたという。
ゴッホ美術館はおすすめだと。
1日に全然違う二人からおすすめされると、
不思議な縁を感じる。
遠くない日に、訪れるのだろうという気がする。
今週の国語は絵画を観て、鑑賞文を書く学習。
そうだ、鑑賞作品の中にゴッホの絵も入れよう。
15の時に観た黒澤明の『夢』。
ゴッホの絵の中を歩いていく話は「雨だれ」の音楽とともに、鮮烈に残った。
とにかく、あの頃はしょっちゅう泣いていた。
映画も、音楽も、文学も、それはそれは私の傍にいてくれた。
今よりずっと情熱的だった頃。
しかし、情熱という言葉は、高校時代に置き去りにしてきた。
それはそれでよかったと思っている。
一生分のバーンアウトを体験した気がした秋の教室の光景が、今でも忘れられない。
放課後の校舎に響く吹奏楽の音色は、時間は二度と戻らないのだということを告げる音だった。
大学生になり、初めて美術館に行ったのは、兵庫県美のゴッホ展だった。
そこで買った「夜のカフェテラス」のポスターを、学生寮にも、留学先の寮にも貼っていた。
ずっと旅した絵。
あれはどこに行ったんだろう。
今の家には、玄関にはクリムト、本棚にはシーレ、台所にはバルテュスのポストカード。
部屋の壁には自分が描いた絵を飾っている。