わからないことを、おそれない。

 私は、オートマ限定です。ミッションは、あまりの下手さに、途中で断念した。教習所に行くのがいやになって、登校拒否気味になって・・・

 その頃1ヵ月の船旅に出た。毎日海を見たり、色んな国をめぐり、色んな人に出会って考えた・・・そんなにしんどい思いして、なかなか免許が取れずにいるより、オートマで、楽に免許とって、はやく運転して、色んな世界を見るほうがいいじゃん。そう思えたの、さらっと。旅が教えてくれた答えだった。

 だからミッションは運転できないんだけど。

 でもね、自分の身体にギアが入る感じは、わかる。がこっと。

 1年に何回かやってくる。不意に。心の中のレジスタンスが、ギアをシフトするんだ。

 

 子どもに合ったもの。子どもが喜ぶもの。子どもにわかるもの。

 そういうのが、親切なようで、子どものことを考えているようで、

 しかし、私には非常にばかばかしく思えることがある。

 子どもって、わかるんだよ。難しくても、「ホンモノ」には、ちゃんと心が動くんだよ。私はそう思う。

 わけがわからなくてもいいんだって。意味がわからなくても、心が動くことってあるんだもん。

 ホンモノには、わけがわからなくても、心を虜にして、その人の人生に残る力があるんだもん。

 アートの力ってそうでしょう。映画だって、絵画だって、音楽だって、舞台だって・・・はっきりいって、私は、「わからない」って思ってみることいっぱいある。でも、魅かれるんだもん。みたいと思うんだもん。吸い込まれるんだもん。

 子ども達って、大人より、ずっと何かをおもしろがる力ってある。

 え?って思うことで笑うし、雲やら、電車やら、虫やら、川やら、草花やら・・・大人が通り過ぎちゃうものを、じっと、じっと見てる。

 どうして、小さい子には、難しいから・・・って言うんだろ。頭で理解するより、身体で感じることの方が、子どもたち、得意なのに。だから、小さいときに、いろんな体験をしたり、芸術に触れたりすることが大事なのに・・・。

 っていうのが、なかなか伝えられない。伝わらない。リスクマネジメントにいってしまう。

 ふ〜〜。

 半分イライラ。半分泣きそうになりながら。

 でも、本屋さんで、偶然にも見つけた詩が勇気をくれる。


 『わからない』 覚和歌子


 はじめての歌舞伎は
 なんだかぜんぜんわからなかった
 なのに わからないことが
 いやじゃなくて
 みたことのない
 くうきのかんじに
 目がすいこまれてじかんがすぎた

 わからなくても ぐんぐんせまった
 声のひびきや ことばのちょうし
 わからないことが やきつけた
 
 いしょうやどうぐ 動きのかたち
 よくかめないものを まるのみするように
 今はおなかに入れておく

 せかいはぜんぜんひろくって
 ここは ほんの入り口なんだ
 (わかるためには きっと
  歌舞伎いがいのたくさんのことを
  しるひつようがある)

 今日の歌舞伎は
 ぼくの未来に いばしょをこさえて
 おとなになったいつかのある日
 ぼくだけのことばをあふれさす
 
 これは、「崖の上のポニョ」の「海のお母さん」の作詞をした覚 和歌子さんの詩です。ポニョ特集のコーナーにあって、迷わず手にとって、一気に魅了されました。素敵な詩に出会えた喜びって、偶然見かけた虹のようです。本当に幸せ!

海のような大人になる―覚和歌子詩集 (詩の風景)

海のような大人になる―覚和歌子詩集 (詩の風景)

 運動会に向けて、「ポニョ」を何度も、何度も聴いています。本当に、素晴らしい曲です。『Cut』の表紙が、〜『ポニョ』は、なぜあの高みに到達したのか?独占・宮崎駿〜とあったので、引き寄せられて買いました。ポニョ研究です。

Cut (カット) 2008年 09月号 [雑誌]

Cut (カット) 2008年 09月号 [雑誌]

 そこでも、宮崎氏の言葉に感動しました。

 映画が、どんどん立体的に見えてきます。どんどん、奥深くにせまってきます。

 今日一日で感じたこと、全部つながっている。

 ポニョは、子どものために創られている、ホンモノだということ。

 教師は、あるとき、子どものためといいながら、ニセモノを与えるということ。

 ホンモノを与えることに、どうして臆病になるのだろう。

 見た目とか、体裁とか、そういうのに振り回されるのは、いつだって大人だ。

 子ども達は、宗介やポニョのように、まっすぐで、世界中の不思議を感じたいと思っている、きっと。

 私だって、臆病だし、見た目や評価に左右されるけど・・・。

 でも、子ども達には、色んな世界に触れてほしい。そのことが、彼らの人生を豊かにすると信じているから。

 

 私は、今年、1年生を担任して、23人の子ども達に教えてもらったことがいっぱいある。

 何より教えてもらったのは、「抱く」という行為の素晴らしさ、切なさだ。

 人の手が、人を抱くためにあるのだと感じられた。子どもたちは、触れ合うことが大好きで、抱っこ、抱っこ、とせがんだ。

 人が、こんなに愛おしいものだなんて。やわらかくて、あったかくて、人を信頼しきってて。

 人間っていいなあ。体っていいなあ。

 そんなふうに感じられた。彼らと触れ合うことで。

 だから、ポニョにこだわる。私にとっては、子どもたち、みんなポニョに思える。

 誰かに会いたくて、生まれてきたんだわたし達。

 生きててよかったって思える瞬間は、誰かを愛おしく思ったとき。会いたい誰かがいるとき。

 ポニョの映画の中で、一番感動したのは、ポニョが、宗介に会うために、波の上を走るシーン。あのエネルギーは何だろう?命の持つ力。人間の持っている満開のバイタリティーだ。

 そんな力を子ども達は持っている。しかし、いつしか、その力は、内に封じ込められていく。

 そうなってもいい。そうなってもいいけれど、その封じ込められた力が、開放される場があると、もっといいと思う。

 だから、私は、ダンスや表現をし、子どもとも、したいと思う。

 ポニョのダンスを通じて、伝えたいことがいっぱいある。子ども達に感じてほしいことがいっぱいある。

 それは、指導できないんだと思う。子ども達が、自分で動いて、見つけるのだと思う。

 私は、伝わってほしいと願い、オロオロと、あたふたと、環境を作りながら、見守るしかないんだ。