実感

前々からあることを知っているイベントは、行くかどうかずーーーっと考えて、迷った挙句、結局行かなかったりする。
一方、前日や当日にあることがわかったイベントは、運命的なナニカを感じたりなんかして、瞬発力のある決断につながることが多い気がする。


今日は、大阪府中学演劇祭で最優秀府知事賞と戯曲賞を受賞した作品が東山青少年活動センターで上演されることを昨夜知り、行くことにした。
10年程前、ワークショップを通じて知り合った方が顧問をつとめておられ、台本も書かれたのだという。


舞台は、中学生の人間関係の繊細な感覚が丁寧に描写されていて、みるみる引き込まれた。
いじめは、いじめ、というはっきりした定義の元に起こるのではなく、
一人ひとりの不安、孤独、嫉妬、焦燥、潔癖、憧れ…そういう目には見えない感情が重なり合い、擦れ合う中に歪みとして、現れてきてしまうものなのかもしれない、と感じさせられた。
誰が始めたのか、誰が悪いのか、誰が加害者で誰が被害者なのか、その正体ははっきりとは見えない。
劇中劇に幽霊が描かれていたが、まさに、そのような得体のしれないもの。
それを見ようとし、さらに向き合うには、全員が幽霊がいる、いじめがまさにここにある、ということを実感と行動でつかまえないといけない。
この劇を中学生が中学生に向けて上演し、感じたことを話し合う、というだけで、非常に意味のある時間が生まれるだろう。
日常のリアルを丁寧に描くことは、強いメッセージを与えうるのだということが実感される素晴らしい劇だった。
清水さん、ありがとうございました。



午後からは稽古。
映画 Looking for Richardを観る。
その後、リチャード三世の冒頭の台詞を読む。
声に出して読んでいて、ああ、こういう感じかな、というイメージがどんどんでくるのがおもしろい。
声に出したり、身体を作ったり、空間を作ったり、関係性を作ったりすると、文字がどんどん立体感をもってくる。
帰宅後、覚えるために何度か声出しした後、iPhoneに録音する。
録音したものを音声で聴くことで、記憶しやすくなる。私の場合。



長い長い2月が始まっている。
描くことのできない未来を前に、
私は少しでも誠実でありたい、と思う。
人にも、世界にも、自分にも。



今日の劇に出てきた言葉。
「いじめられたくないけど、いじめたくない。」



私なら、こういう。

傷つけられたくないけど、傷つけたくない。
傷つきたくないけど、傷つけたくない。



雨の街。
ある学校の前を通る。
そっと祈りながら、帰ってくる。


君は、十分、傷ついたんだろう。
自分を傷つけずに生きて行くには、どうすればいいんだろうね。
君を守ってくれるものが、どうかそばに、ありますように。

「その日わたしは愛について考えたから
 自分をやめようと 棄ててしまおうと思っても
 自分を嫌いにだけはならなかった 」

「その日わたしは
 その日わたしは

 なくても生きていけるものに
 生かされていた」湯川潮音『その日わたしは』

https://virginbabylonrecords.bandcamp.com/track/feat-2