上の空

はじめてソンミサンマウルという名前を聞いたのは、2013年の夏のこと。
その時、こうして木蓮の咲く季節にここを訪れることを、全く想像しなかった。
ただ、熱心にその街を訪れた感想を話す人の話を、どこか上の空で聞いていた。


現実に向き合いきることが苦手な私は、常に逃げ道を探しながら、もうひとつの場所にいる。
それゆえに、たくさんの目の前で起こっている出来事を見失う。
てんで上の空だ。
ただ、もうひとつの場所にいる、その多くの場合、自分自身の内の様々な問題に取り組むことと、社会の問題を考えることは、強く結びついてもいる。
だから、上の空でも、ちゃんと空はつながっていると、気を取り直す。


今回の旅で一番touchyな瞬間は、セウォール号の事件を現地コーディネーター兼通訳のMisuさんから聞き、そこから浮かび上がってきた現代の韓国社会が抱える痛みに触れた時だった。
黄色いリボンが、特別な意味を持って自分の中に入ってくる。
感情が流れ込むように。


そして、もうひとつ。
ハジャセンターで展示してあった。Tシャツ。
「これは、福島でとれたコットンでつくりました。」と職員の方が紹介してくださる。
3.11のプリント。
外国にくるということは、いつも、自分の国のこと、自分の無知をつきつけられる経験である。
それは、例えば、自分の学級のこどもの担任である私が気付かない一面を、ゲストで教えにきた方から教えてもらうような感覚。
近くにいて、自分のそばにあるものは、本当に見えにくい。
見ようとしていない。
社会的不感症、無関心、という言葉が、所々で聞かれたが、それは、全く私自身に当てはまることだ。



訪ねた訪問先に共通するのは、自分の手のひらに、生活を取り戻そうとする姿勢だった。
どこかアーミッシュの生活のような、近代以前の生活、それは国が管理する「学校」など、まだ存在しなかった頃の空気感。その頃にあったであろう循環を創り出すことは、なんだか人類の歴史を逆戻りしているような感覚を覚える。
その時代に戻る・・・それは、生まれたこどもが、自身の手のひらや体を使って自分の周りのものに触れ、働きかけ、対象が形を変えることで自己存在への認識を強め、自我を獲得し、自分の持つパワーに気づいていく過程、その感慨を取り戻しているような気さえしてくる。私という存在を社会の中で見失ってしまった時、てのひらから生み出す、木工や陶芸、織物、料理に存在の確かさ・学びの本来の姿を求めることは、本当に自然で理にかなっていることだと思えてくる。人の発達が人類の歴史と相似を為しているならば、発達の行き詰まりを感じた時、もう一度、かつてに戻る必要もあるということなのだろう。この1年、私自身がアートワークに向かい、そこでの回復が確かにあったことも、つながりを持って感じられる。



「うんどう」という言葉が2種類あると知ったのは、小学校2年生の時に読んだ児童書だった。
本の題名は覚えていない。
物語の最後に、主人公の女性(魔女のような、女王さまみたいな人。)が、「うんどう」を始めました、と、書いてあった。
女性はタスキをかけて、何かを笑顔で訴えて、世界を変えていこうとする挿絵が描かれていた(今思えば)。
8歳の私は、タスキは駅伝のタスキのことかしら、でも、服装は普通の服で運動をしてるようには見えない・・・と、もやもやして、母に尋ねると、 選挙を例に「運動」の意味を教えてくれた。その時は、ぴんとこなかった。当時の自分では理解ができず、もやもやしたので、ずっと記憶に残っている。その後、「運動」という言葉がピンときたのは、いつだったろう。
ソウルで様々な市民運動に関わる人々に触れながら、そんな記憶が蘇ってきた。



旅のことを事細かには書かない。
面倒だから。そこに私のパワーは今は向かない。
忠実でないといけない気がするし、私は苦手だ。見えてないから。
この11年目になる日記は誰かに伝えるために書いているものじゃない。
多分、そういう目的で生きると、うまくいかないことがわかっている。


ソンミサン学校の12年生のこどもたちが、自分たちの街の歴史を自分たちで語ったように。
自分の物語、自分の街の物語を自分の言葉で語ること。
その繰り返し。
自分の歴史を常に語り直すこと、紐解くこと。
それは、街の歴史、国の歴史、世界の歴史、社会問題の背景の理解の仕方を獲得していくことと、つながらないわけがない。
どんなふうにも語り直せることを知っている。
解釈できることを知っている。
解釈されうることを知っている。
飛行機の中で読んだ本の中に「歴史への真摯さ」という言葉が繰り返しでてきた。
真実かどうか、ではなく、歴史への「真摯さ」。
この言葉をどんなふうに受け止めればいいだろう。



旅の始まり。空港で参加者の中の一人の方が、「ブログ読んでます。」と声をかけてくださる。そして、「日記っていいですよね。ある研究者がおっしゃってました。社会とのうまくいかなさを、日記で調整しているんだ。」って。


ということで、社会との調整終わり。


ハジャセンターでオデュッセイ学校に通うこどもたちが歓迎に歌ってくれた歌。
入道雲」という70年代の歌だそう。
とても気に入りました。
https://www.youtube.com/watch?v=ETL3Mcy6hv4&index=4&list=PLYTsO9mE6Vpugf8xufu-BFdbYMI81fln_