手を動かす

 なかなか原稿が進まないので、家にあったさつまいもで久々にスイートポテトを作ってみる。子どもの頃、よく作って食べていた。オーブンだと、うまく焦げ目がつかないのが残念。マッシャーもなくて、うまくつぶせず、ごわごわした食感。でも、ちゃんとスイートポテトの味がする。

 

 インタビューの文字起こしをしようと色々アプリと格闘するが、結局、自分で手でうつことが速い。ちょっとずつ、ちょっとずつ、作業を進める。

 

 今年は地道に片付けと掃除をし続けたので、特に大掃除も必要なし。いくつか、古い(ときめかない)洋服や、溜め込んでいた書類関係を捨てる準備をする。それにしても、勉強しないといけないのに、家の掃除をしたり、料理をしたりしてしまうのは、本当に、どうしてかしら。部屋はきれいになるけれども。ウォームアップと思って、手を動かし続ける。

 

 料理をしながらナイツの漫才を聞く。今年は、ナイツのちゃきちゃきレディオもたくさん聴きました。時事ネタ盛り込んだいい具合のおとぼけの喋りが好き。明日からQuick帰省。お盆ぶりの京丹後。

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2015年のお正月。すごい雪だった。寒すぎた。

 

再会

睦月。

片付けブームがやってくる。

無性に片付けがしたくて、こんまり動画を見たり本を読んだりする。

インフルエンザにかかって、楽しみにしていたみどりちゃんに来てもらう校内研修を休まざるを得なくなる。

日経WOMANブームも再来。

生活や居場所を整えることにエネルギーが湧く。

20歳になった彼らとの再会。過去との対峙。

 

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如月。

懐かしい友人から大事な相談を受ける。

朗読のワークショップを受ける。

感情が動く。

ばったり再会。

因縁というものがあるのだと感じる。

 

弥生。

朗読公演。『チェルノブイリの祈り』を読む。

 

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卯月。

過去との対峙again.

実家に帰って片付けをする。

捨てられなかった物、手をつけられなかった物に手をつける。

初任の頃とてもかわいがってくださった先生との再会。

一発目の公開授業。「白いぼうし」。

私は、『車のいろは空のいろ』のシリーズが大好きだと思う。

子どもたちのつくった『星のタクシー』の音読劇があまりにきれいで、涙ぐむ。

 

皐月。

英語DEドラマ『The Greatest Showman』でアン役。

ミュージカルの楽しさを味わう。

 

水無月

同僚に声をかけてもらい、ヨガを始める。

重く、痛かった身体が、どんどん軽く、健やかになる。

授業研1本目。算数へのチャレンジ。私自身も色々学ぶ。

 

 

文月。

校内研修 渡辺先生による『わすれられないおくりもの』と、

真澄先生による『The Lion King』。

エネルギーの高い、忘れられない時間。

京田辺シュタイナー学校でオイリュトミー講座3日間。

自分を見つめ直す時間。

 

葉月。

初任の頃お世話になった先生の勤務校に講師として呼ばれるうれしい時間。

同僚の結婚式のムービーをつくる。

そして、相変わらず、片付け。

 

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長月。

2009-2010の2年間を担任した子が21歳になり、サッカーを教えに来てくれるという再会。一緒に英語劇を作ったこともある思い出深い子で、感激する。

さらに、2015年に担任した子が高校で演劇部に入り、「きょうはくじょう」という名の舞台の知らせを届けてくれ、観に行く。

時を経て届く、思いがけないギフト。

研究授業2本目。「手品師」。協同で創るからこそ生まれるもの。

 

神無月。

懐かしい友人と再会。

勤務校で、真澄先生による『オズの魔法使い』のワークショップ for 4年生が始まる。

研究助成も通る。

夢が叶っていき、うれしい。

研究授業3本目。「お手紙」。幸せな時間を共有する。

書籍執筆に力が入る。

 

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霜月。

エデュコレ、書評、ミュージカル、引率行事、と、色々秋は忙しい。

過去との再会。

予想もしなかった場所を訪れる。

伏線の回収と物語の編み直し。

 

師走。

友人3人で天王山に登る。

願いが全て叶えられていくような不思議な時間。

ギフト。

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過去との再会の多い年。

年明けから、ずっと、ずっと。

過去に何かしらのわだかまりや、解決できないままの感情を持った関係の人とは、

必ず、再会し、それらをほどく時間がやってくるのだろうか、と感じたほど。

この流れは、まだまだ続いていくような気もする。

 

『道ありき』をひっぱり出してきて、また読んでいる。

2004年の年末年始。大学生だった私が、アメリカの長距離バスの中で泣きながら読んだ本を、その後も、幾度も、幾度も読み返す。

江國香織三浦綾子

学生時代に大きく影響を受けた二人の作家を、私は、人生の岐路に立っていると思った時、何度も読み返す。

15年前の私と、それほど変わっていない年末。 

しかし、15年前の私が、想像もしなかった未来を生きている。

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絵葉書

探し物の途中で、昔書いた文章ファイルを見つける。

 

徒然草」と題したその ファイルには、約3ヵ月の出来事がわりと丁寧に記録されている。読んでいて恥ずかしくなるような赤裸々な内容もあれば、思わず涙ぐんでしまう部分もある。あれから、随分と時が経った。あの頃の私は、今の自分がこんなふうな心持ちでこの文章を読み返しているとは想像もしていない。ただ、必死に、毎日を生きていた。そして私は、あの頃と同じ音楽を今日も聴いている。

 

探し当てた絵葉書を飾る。

いつかの私を励ましてくれた外国からのたより。

返事も書かないまま、何年も過ぎた。

 

気づけばパスポートの期限が切れていた。

更新に行こう。

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行ってみたい場所があるから。

 

 

 

整える

年末年始から、ずーっと、ずーっと片付けをしている気がする。

とにかく、そういう気分なのだ。

年明けには、こんまりの動画を見まくって、

図書館で掃除や片付けの本を借りて、

ときめかないものを捨て続けた。

 

今朝も、BOOKOFFに依頼して、2箱、本やCDを引き取りにきてもらう。

 

こんまりによると、「掃除と片付けは違う」そうで、「片付けは、一生に一度」だそうだ(うろおぼえだけど、私はそう理解した)。

で、片付けは一度すると、もう散らからなくなるらしい。

リバウンドしないらしい。

本当かな、と思ったけど、今なら理解できる。

私は、とても片付けが苦手だったけれど、

その私でも、随分、散らからなくなったから。

こんまり、おそるべし。

片付けは、治癒的、というか、治癒だと、ある片付けの番組を見て思ったが、

自分自身にとっても、そういうものだと思う。

片付けられないのは、何かが覆いかぶさっているからかもしれなくて、

片付けたいのは、どこか、道を作りたいという思いからくるのかもしれなくて。

 

日経ウーマンも今年に入って4冊目。

ミニマリスト、やめることリスト、健康特集、節約技、、、

そういうことに、関心がある。

生活を整えたい。

 

今週から仕事がぼちぼち再開なので、今日が一応、夏休み一区切りの気分。

相変わらず家を掃除し、洗濯し、アロマを焚き、時々甲子園を見てハラハラしながら、二つの仕事にとりかかる。

朝から仕事にとりかかれるといいのだけれど、

掃除という名の準備運動に半日使い、とりかかったのは、夕方。

 

今月末に一つ年を重ねるので、先週、36歳までにやることリストを作った。

思いの外、色々進む。

誕生日までに、という期限は、今年中に、とかより、やる気でるね。

 

 

桜ベーグル

久しぶりにタテタカコを聞く。


タテタカコ / 誰にも言わず

 

 うっすらとした喪失を受け止めてくれる懐深き歌声よ。

 

春には春の、夏には夏の、秋には秋の、冬には冬の記憶がある。

 

5度目の春が来る。

その季節を、前のどんな春とも違うように迎えている。

 

山崎の駅に行ったら必ず立ち寄る駅前のパン屋Etrta。

桜のベーグルを買う。

会計は555円。

そういえば、昨日使った靴箱も55番だった。

前に進めと言われているよ。

 

たったの2週間で、職場はすっかり別世界になるのがこの職業。

新しい本を買って読むことで、必死に次のことを考えようとする。

前を見ないと、不安。

私の仕事は、大丈夫、という仕事だから。

 

朗読

今年度、初めて、リーダーズ・シアターに取り組んだ。

リーダーズ・シアター。朗読劇のこと。台本を持ちながら、声による演出で、観客にイメージを伝えていく劇。

10月、宮沢賢治『やまなし』を読んだ後、賢治の作品をグループで選び、自分達が朗読したい部分を切り取って表現した。参考にしたのは、Eテレ「100分de名著」宮澤賢治スペシャルの中の原田郁子さんの朗読。

www.nhk.or.jp

 

子ども達の選ぶ作品も、選ぶパートも、かなりいいセンス。

声だけで、と伝えながらも、発表前に「空間や立ち位置の工夫はOK」ということにする。

「猫の事務所」を読んだグループは、机を事務所風に。

銀河鉄道の夜」を選んだグループは、ジョバンニとカムパネルラのみが立って読むスタイルにしていた。

なかなかいい感じだったので、来年も同じ方法でやってみようと思っている。

 

 

今、私自身も朗読のワークショップを受けている。

毎週金曜日。吉田美彦先生のガイドのもと、「チェルノブイリの祈り」という作品の一部を読んでいる。

blogs.yahoo.co.jp

声に出すことは、私にとって、遠いものに少しちかづくための、とてもよい方法だと感じる。

 

 

子どもの頃から音読や読み聞かせが好きだった。

それはもちろん、図書館司書だった母の影響だろう。

大学生の頃は図書館に読み聞かせボランティアに行っていた。

思い出すのは国語科教育法の授業。

1限の授業に、いつも遅刻して行っていた。

とにかく、朝は起きれないのだ。

その日。『風のゆうれい』という作品を取り上げた授業だった。

遅れてきた私に読む順番が回ってきた。

結構な分量を一人で読んだ。

すると、担当の先生がため息をついて、こう言った。

「君は毎回毎回遅刻してくるどうしようもない奴だが、音読は上手い。それが癪に障る。ちゃんと時間に来なさい。」

それでも、朝は起きれなかった。

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『旅立ちは、フラジャイル。』

 

 旅立ちは、フラジャイルだ。

日常の中でしまいこんできた何かが、あふれだし、決壊してしまうような瞬間がある。

 

2004年8月。21歳の誕生日を目前にした夏。

その日、私はアメリカ・ウィスコンシン州に向かう飛行機の中にいた。

ウィスコンシン大学オークレア校への留学のためだった。

関西国際空港まで、母と大学の友人たちが見送りに来てくれた。

一人、ノースウエスト航空の飛行機に乗り込み、考えていたこと。それは、行く先のことや生活ではなく、これから10カ月あまり離れてしまう日本の人々のことだった。

出発のギリギリまでにぎりしめていたのは何色の携帯電話だっただろうか。

wifiスマートフォンが普及していなかった当時、連絡手段は国際電話やE-mailだった。

飛行機に乗り込み、あと少しで使えなくなる携帯電話から母にメールを送りながら、ぼろぼろ涙がこぼれた。

「苦労の多い中、ここまで育ててくれてありがとう。」

大学の学費や留学に関わる費用の工面。そもそも、一人親で私と弟を育てることの大変さは並大抵のものではなかっただろう。面と向かってはなかなか感謝の言葉を言えない強がりな私も、旅立ちの瞬間にやっと素直に思いを言葉にできた。今しか言えないような、そんな気もして、夢中でメールを打った。

 

父が消えた小4の夏。

母は、地区の夏祭りの催しであるカラオケ大会に出場することになっていた。神社に設置されたステージ。暗闇に浮かぶ紅白幕。そこで母が歌ったのは、荒井由実の『卒業写真』だった。数ヶ月前から、家の中や車の中でずーっと練習をしていた。父がどこへ行ったかもしれない中、ステージに立つ母を見ながら「よく、こんな精神状態でこの歌を歌えるな」と子どもながらに思ったものだった。

 当時、母のカーステレオでよくかかっていた荒井由実の楽曲は、子どもの私には寂しすぎた。歌声から浮かぶ景色は、二度と戻れない過去の前に立ち尽くしてしまうような感じがした。「歌を歌っている時、人は、みんな一人ぼっちなんだろうか」「大人になったら、こういう歌を平気で聴けるようになるんだろうか」と、将来への不安を覚えたほどだった(もちろん、今の私は、どんな悲しい曲も、寂しい曲も聴ける)。

 

今なら言葉にできる。彼女の声や歌は、フラジャイル(fragile)だ、と。

フラジャイル。留学先で知った言葉だ。届いた荷物のダンボール箱に貼り付けられていた。壊れやすい、脆いという意味。生活経験とつながって、すぐに覚えられた。

そう。ユーミンの歌、歌声は、私にとっては、フラジャイルだ。

当時の母の姿とも重なり、余計にそのように感じられるのかもしれない。

彼女の歌を聴く時、私はひどく脆い存在になったように感じる。

いや、一人になりたい時、心細い時に、彼女の歌を欲するというのもある。

いつか少女だった私と、なんら変わらない脆さを持った自分に立ち戻るために。

 

 

あの頃。

家の納戸に置かれた化粧台。

子どもの頃の私は、そこに座り、母のいない間にこっそり口紅を塗ったり、アイメイクをしたりした。

その化粧台の隅に飾られていたモノクロ写真は、母が若い頃の写真だった。

若い頃はモテて、何人もからプロポーズされたという母。

しかし、兄が交通事故で亡くなり、田舎に帰る選択をした母。

そして今、二人の子どもを抱えて厳しい状況に立たされている母。

母にはもっと別の人生もあったのではないだろうか。

人生の岐路に立つ母が歌う『卒業写真』は、かなしかった。

 

そんないくつもの記憶が、出発前の飛行機の中でよみがえってくる。

自分自身の旅立ちの瞬間に思いもよらず押し寄せてきたもの。それは、私の中にある母の物語だった。

決壊、という言葉が似つかわしいほど、飛行機の中で私は泣いた。

 

さて、日常に戻れば、旅立ちのフラジャイルをどこかに置き忘れ、図太く、ふてぶてしく、したたかに生きる。

あの夏の飛行機で起こったフラジャイルは、そうそう頻繁には起こらない。

だから、こうして生きていけるのだろう。

昔より、ずっと強くなった私は、あの頃の母に近い年齢になった。

今となれば、あの境遇で『卒業写真』を歌えた母の心境も、少しわかる気がする。